「うみ!?」

思いがけない提案に、僕は思わず高い声をあげた。
何を考えてるんだ、コイツ?

「海って……あの海!?」
「他にどの海があんの?」
「行ってどうするんだよ?」
「もちろん泳ぐ」
「君泳げるの?」

そうじゃなくて。

「当然。僕はイルカだよ?」

だからそうじゃなくて!

「行けるわけないだろ?学校サボってるのに」
「なんで?どっちみちサボってるんだからどこにいても同じだろ?ここでも海でも変わんないよ」
「あのねぇ」

僕は呆れ声を出した。

「別に遊びに行く為にサボってるワケじゃないだろ?海とか行ってて、もしミサトさん達にバレたらどうするんだよ」
「黙ってたらバレないよ」
「もしバレたら?」
「バレないよ」
「もし、だよ」
「シンジ君に誘われました、って言うかな」
「……」
「……嘘です」
「行かない!絶対!」

こいつ言いそうだ、と思って一歩離れた。さっきから掴まれたままの腕がぷらんと伸びる。ぱっと上に払って振りほどいた。

「うそうそ!冗談だってば」
「……信用出来ない」
「シンジくーん…」
「そんなわざとらしい顔作っても駄目!」

はぁ、もう暑い。さっさと日陰に移動しよう。僕は渚くんに背を向けた。

「大体、いつ非常召集がかかるかもしれないってのに」
「使徒なら来ないよ」

顔だけ振り向いた。渚くんはいつもの不敵な笑みを浮かべている。

「使徒なら来ない。今日は、ね」

僕を見る。真っ直ぐに。

「な、何でそんな事わかるんだよ」

その態度に妙な自信を感じて聞き返した。すると渚くんは真顔になり、真剣な眼差しで僕を見据えた。赤い眼が、いつもより鋭い。

「シンジ君……」
「な、何だよ」
「僕の脳内シュミレーターがそう言ってる」
「は?」
「つまり、勘」
「……」

……あほらし。さっさと移動移動ー。

「ああっ!?待ってよシンジくんーー!」

僕はスタスタと移動を開始した。

――――――――………

ガタンゴトン ガタンゴトン

『次は~、〇〇町~〇〇町~』
「……」

……で、現在。何故か僕達は電車に乗っている。

ガタンゴトン ガタンゴトン

「おおー!何だか行けども行けども緑だね。本当にこんなんで海に着くのかな?」

ガタンゴトン ガタンゴトン

「でも地図によるとさァ、電車降りてすぐの所に海岸があるはずなんだよね。だからその内見えて来るはずなんだけど……全然その気配ないなぁ」

ガタンゴトン ガタンゴトン

「モグモグ、けどこんだけ緑があるって事はこの辺結構田舎なんだろうな、モグモグ。あ、もしかして海じゃなくて山に向かってるとかってそんなオチないよね?モグモグ」
「……」
「ポッキー食べる?モグモグ」
「……あのね渚くん」
「ん?何?」

何?じゃないだろ!

「何で君はこの件に関してそんなに用意周到なんだよ!」
「この件て?」
「海に行く件!」
「同意したじゃん」
「見に行くだけならって言っただモガ!?」

……ポッキーを突っ込まれた。

「見にも、行く」
「……モグモグ」

僕は溜め息をつこうとして、取り敢えず口の中のポッキーを処分した。

「……はぁ、甘い」
「そう?美味しいけど」
「ポッキーじゃなくて、僕が」

僕が甘かった。
思えば引っ越して来たばかりの渚くんがこの辺の海とか知ってるわけがなかったんだ。彼が『海』と言い出したのは、それなりに下調べがあってからの事で。それに気が付かなかった僕が、アホだ。

「まさか地図まで持参してるとは」
「水着もあるよ」
「信じられない」
「ポッキーまである」
「……チョコ溶けてるし」
「むふふ、モグモグ」

何だかんだで押し切られてしまった。
そういえば出会ってからいつもこうだった。こいつは ”そういう奴” なんだ。最近それを少ーし忘れていた。
アスカとか、綾波とか色々あって、精神的にキツかったから。渚カヲルと過ごす何もない時間でさえ ”普通” だと勘違いしてたんだ。
全然、普通じゃない。

「……そういやネルフでは女子トイレに入ったりしてたんだっけ」
「トイレ?トイレは隣の車両だよ」
「……なんだかなぁ」
「まだ気にしてんの?使徒なら来ないって言っただろ?」

だろ、って君の勘じゃないか。

「大丈夫だって。それにもうここまで来ちゃったんだし」

そう言って渚くんは窓の外を見た。
確かに、電車は今街を抜け、緑が色濃く残る田舎町を走っている。
あちこちに昔造りの民家や緑の稲が棚引く田んぼが見える。外は相変わらずの快晴。お昼前の強い日差しに緑が映えて、美しい。

「きもちいいー…」

渚くんは眼を細めてそれを眺めている。
たしかに、悪い気持ちはしない、かな。でも何となく渚くんの思惑にはまったっていうのが釈然としない。

「うーん、なんだかなぁ」

悪い奴ではないんだろうけど。

「ふりょう」
「ふうん?優等生」

僕も外を見る。光が眩しい。海なんて何年ぶりだろう。
子供の頃、一度だけ伯父さんに連れて行ってもらった事がある。あの時は楽しかった……んだっけ?覚えてないや。伯父さんは釣りばかりしてた気がするけど。
それ以外で僕が知る海は、移動中に眺めたり、エヴァで戦闘中に見たり。
――で。

「今日は君と、か」
「何?僕じゃ不満?」
「不満じゃないけどね」
「僕は楽しみ」
「うーん」
「あ、次の次だよ」
「了解」
「もう観念しなよ」
「りょーかい」

社内アナウンスが駅名を告げる。
僕はほんの少しだけ、たまにはこういうのもいいかな。と、思った。