「シンジ君達の予想通りよ。アスカの出血は月経で間違いないわね」

白衣姿のマヤさんはそう言うと、PCのモニターから顔を上げ、僕に笑いかけた。

「そうですか!じゃあアスカの身体は正常に戻ったんですね」
「うぅーんそれはまだ何ともいえないわ。生理が来たってだけじゃね。詳しく検査をしてみないと」
「そうですか……でも良かった、アスカずっと気にしてたから」

アスカの生理のことを僕が気にしていた、なんて言うと気持ち悪い奴だと思われるかも知れない。だけどマヤさんは「そうね」と優しく笑い、「次はシンジ君の番ね」とキーボードを叩いてPCモニターを僕のカルテに切り替えた。

「生理が来たってことは、少なくともアスカには何らかの変化があったことには違いないわ。シンジ君、あなたにも何か進展があると良いんだけど」
「あ、はい」
「前回の検査から2週間しか経ってないけど、後でもう一度スクリーンしてもらうわね。それと例のあれ……ええと……お願いできる?」
「あ、はい、今日帰ったら試してみます」
「ごっごめんね!お願いね」

赤くなったマヤさんから紙コップと試験管状のケースを受け取る。精子の採取なんてもう何回もしてるのに、こういうところはこの人は全然変わらないな、と僕は苦笑した。

僕が今いる所は、アインという。
特務機関アイン・海洋環境研究部。通称『海洋ネルフ』
旧ネルフのメンバーを中心につくられた、現在僕とアスカが働いている組織だ。

アインはサードインパクトの究明と帰還者の支援を目的として生まれた。海洋環境研究部と敵対生物対策部の二つの部で構成されていて、それぞれがその名前の通りの仕事を受け持っている。
サードインパクトの後、ネルフは事実上消滅した。戦略自衛隊の侵略があったからだけじゃない。本拠地の第三新東京市とジオフロントそのものが爆発してしまったからだ。
人類再生後、ネルフの職員達の多くは死体の姿で戻って来た。赤い海に打ち上がった見慣れた制服の大人達を、僕もアスカも何度も引き上げたことがある。その職員達の多くには銃痕があった。
補完が始まる前、A.T.フィールドが消えて液状化する前に亡くなった人は、再び甦ることはなかったんだ。

けれど、戦略自衛隊の攻撃を免れて生き延びた人もいた。
マヤさんもその一人。他にも隠れて生き延びた人や、生きたまま鎮圧された人は、生きながら補完に飲まれ液状化した。
彼(彼女)らは赤い海から生きて戻り、中でもある共通の意思を持つ者達が集まって、一つの団体を作り上げた。
それがアイン。後に政府に吸収され、政府直属の特務機関となる今のアインの前身だ。

サードインパクトは世界に大きな傷跡を残した。しかし多くの人間にとってそれはセカンドインパクトと同じ自然災害という認識だった。
目を開けると海辺に倒れていて、世界は何故か壊滅状態。この異常現象は、再生後の政府によりセカンドインパクトと同じ隕石の衝突が原因と説明された。
『衝突の影響で強い磁場異常が起こり、人々に入水などの異常行動と記憶障害を引き起こした』
僅か15年前にセカンドインパクトを経験している人々にとって、この説明は納得し易いものだったのだろう。疑問を抱く声もありはしたが、大多数の人はそれを信じた。

しかし、ネルフの人間は違った。彼らは戦略自衛隊の侵略を覚えていた。A.T.フィールドが消え、次々と液状化していく仲間の姿を覚えていた。
赤い海に飲み込まれ、再生を果たした彼らは、自分達がネルフで知らずと間違った流れに加担させられていたことに気が付いた。

“サードインパクトを防ぐためのネルフ”

けれど現実にサードインパクトを引き起こしたのは人間だった。
ヒトは、ヒトの手でサードインパクトを起こすために使徒と戦っていたんだ

彼らの中にそのことを贖罪したいと思う人が現れたのは、人類を守ると信じて働いていた彼らからすれば自然な流れだったのかも知れない。
彼らは各地を回って同士を探し集め、アインを創った。
真実を究明し、サードインパクトの後始末をする。その意志の元、徐々に賛同者を増やし、その規模を拡大していった。
今ではその活動内容に共感した一般人を含め、数百名が属している。そこには僕とアスカ、綾波も含まれている。

ちなみにこれらの話は全てマヤさんの受け売りだ。
マヤさんは今、アイン海洋環境研究部部署長。僕らの上司であり保護者を引き受けてくれている。

―――――――……‥

「オッケーおつかれさま。あとはこっちで調べるから着替えていいわよ」 「はい、ありがとうございました」

MRIから出て着替えていると、ズボンに片足を突っ込んだところで体が斜めに傾いた。

「おっとっと」
「あらー大丈夫?ちょっと血を抜き過ぎちゃった?」
「いえ大丈夫です。ちょっとクラっとしただけで……はは」

MRIに入る前に4本抜かれた血液のせいか、頭の中がふわふわする。注射針を刺す時は優しいマヤさんだけど、血を抜く時は容赦ないんだから女の人ってコワイ。

「じゃあ僕は綾波の所に寄ってから持ち場に行きます」
「レイのことお願いね。今日はあなたに見せたいものがあるんだって」
「見せたいもの?」
「行ったらわかるわ。ふふ、可愛いの」
「何だろう?行ってみます」
「うふふ」

マヤさんは楽しそうにうふふと笑った。こういう時は大抵女子のヒミツってやつで、聞いても何なのか教えてくれないんだ。
僕は医療室を出ようとして、ふと思い出して立ち止まった。

「そうだマヤさん、アスカの今日の変化って、前に綾波が言ってたことと関係あるんでしょうか?」
「言ってたこと?」
「その……使徒の寿命のことです」
「ああそのこと。ヒトと融合した使徒の細胞には一定の寿命がある、ってやつね」

僕は綾波がそれを言っていた時のことを思い浮かべた。

「どうかなー、もし本当にアスカの体から使徒の痕跡が消えてたとしたら、その可能性もあるのかもしれないけど。でも細胞レベルで融合してる使徒が都合よく自分だけ死んでくれるのかしら。うーん」

マヤさんは首を捻って腕を組み、直ぐにパッと顔を上げた。

「ま、それも精密検査の結果次第ね」
「ですよね」
「レイの ”リリスの記憶” には色々と助けられてきたけど、こればっかりは自分の目で確かめないとね。人は自分で調べ積み上げた結果しか信じられない生き物、なんてね。あーやだやだ、自分で仕事増やしてばっかり」
「あはは」
「じゃあシンジ君、また後でね」
「はい、失礼します」

なんだかマヤさん、ミサトさんに似てきたな。
僕は医療室を出てプール方面に向かった。