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サードインパクトから4年の月日が流れた。
セカンドインパクトの再来と呼ばれた大災厄から4年。人々が一つの海になり、再び分離してから4年。
この4年の間に世界はとても大きく変わった。そして生まれ変わった人々と、生き残ったパイロット達の生活も大きく変わっていた。
今年、僕達は18歳を迎えた。
今の僕達を語るには、この4年の話をしなければならない。
サードインパクト以降の世界の話。僕達人類に訪れた、本当の後(のち)の世界の話を。
――――――――………
4年前、世界は一度滅びを迎えた。一部の人類が招いた誤った選択の結果は、都市を一つ、生命を一つ消滅させた。
消滅した都市の名は第三新東京市。生命の名は、ヒト。
僕は結局、この大災厄を阻止することが出来なかった。
人類補完計画により覚醒した地下の巨人は、巨大化して人々を赤い一つの海の姿へと変えた。その後、人と人との分離を望んだ僕の願いを聞き入れて、巨人は飛散。その際に爆発したジオフロントが、直下の第三新東京市を巻き込む形で吹き飛ばした。
都市は消え、人々は海のまま取り残された。
巨人に願いを託した僕だけが、たった一人だけ、陸に上がった。
――『何を願うの?』
僕は人と生きることを願った。リリス、つまり綾波はそれを聞き入れてくれた。 けれど、しばらくの間僕は自分が海から上がったことに気が付かなかった。僕の意識は陸に上がっても尚、海の中にいた。――『何を願うの?』
海の中は静かな世界だった。
暑くもなく、寒くもなく。喜びもなく、悲しみもなく。
憎しみや争い、不安や希望、生や死すらない静寂な世界。
そこでは僕はたった一人で、けれど大勢の自分と同じだった。そしてそれを感じる自分自身すら、もういなかった。
僕が自分が陸にいることに気が付いたのは、もう一人の “ヒト” が陸に上がってからだ。
二番目に上がってきた人は、アスカだった。
『アスカ!』
名前を呼んで、僕は僕自身が声を出せる体を持っていることに気が付いた。倒れているアスカを見て、自分以外の人間が ”いる” ことにも気が付いた。
アスカは砂浜に倒れていた。意識がなく眠っていて、何日も眠り続けた。その間僕はどうすることも出来ず、呼吸を確認したり、体に触れて体温を確めたりするばかりだった。
やがて彼女は目を覚まし、僕の名を呼んだ。そして僕と同じように自分の声に驚いて、徐々にいつものアスカへと戻っていった。
僕達はいつも二人でいた。
はじめは誰もいない海を二人で眺めていた。
そのうち海から離れて無人の街を探索するようになった。
建物の中に他の人間がいないことを確めたり、衣料品店から服を引っ張り出して身に着けたり。
それまでの僕達はお互い裸だったが、不思議と恥ずかしいという意識はなかった。だけどアスカが服を着ているのを見た途端、急に恥ずかしくなって慌てて僕も服を着た。
更に不思議なことに、僕達は食事を摂らなくても平気だった。食べたり飲んだりすることの他、排泄もしなくなっていた。
お陰で空腹やトイレに困ることはなかったが、このことは取分け僕達を不安にさせた。
――生物の基本的な欲求がないということは、それは僕達が生きていないということではないのか?
――これは僕達(もしくはたったひとりの僕)が海の中で見ている夢で、覚めることもなく、夢と気付くこともないまま、永遠にし続ける空想ではないのか。
だから僕達は時々抱き合った。
性的な理由じゃない。お互いの、自分の体と違う部分。男と女の違う部分。そこに触れると安心した。抱き合って、自分と違う体温を感じると安心した。
自分と他人を隔てる壁が、怖いだけじゃなく、時にはこんなに安心するものだと知った。
朝に着た服を夜に脱いで、ただ抱き合ってただ眠り、僕達はそうやって待ち続け、そしてついに見つけた。
ある朝、海の側で目覚めた僕達が見たものは、波打ち際に倒れている数人のヒト。
人は海から戻って来た。
僕の願いは聞き届けられた。
「少し早く着いちゃったね。バスが来るまで少し時間があるなぁ。何か自販機で買って来ようか?」
「……オレンジジュース」
「オレンジだね。待ってて」
今、僕とアスカが暮らしている街は、新生東京市(しんせいとうきょうし)という。サードインパクトで消滅した第三新東京市に代わり、再生後の政府がつくった新しい街だ。
街の名が第二第三新東京市のようにナンバリングされていないのは、過去の災害の連鎖を断ち切るようにと、国が公募で市名を募ったからだ。
そして僕達が今いるバス停は新生中央町。ここは市の中でも特に復興の進んだ街の中心部だ。
僕達は毎朝ここからバスに乗り『海』へと向かう。
サードインパクトが吹き飛ばしたのは、第三新東京市とその周辺だけではなかった。ジオフロントの爆発の影響は、人々の生活も吹き飛ばした。
海面の上昇。異常気象。磁場異常。食料難。
復興は厳しいものだった。何より、赤い海になった人々が戻ってくるのに時間を要した。
人が海にいる、ということは、陸上の人が足りないということだ。
海から戻って来る人の数は日に日に増えていった。僕のいた海岸では最初は数名。毎朝数名、やがて十数名、最後は数十名、数百名と浜に上がるようになった。
先に上がった者は後から上がってくる者に手を貸して、皆は協力して救援活動を行ったが、何せ先に上がった者も殆どが避難生活者だ。人手は常に足りなかった。
そのうち帰還者達が増えてくると、各地でコミュニティーが作られるようになった。
それまで僕とアスカは海辺で寝起きして上がってくる人達の手助けをしていたが、やがて帰還者達が作った避難キャンプに移動して、そこを拠点に救援活動を行うようになった。
帰還者の中に技術者や土木関係者が増えてくると、復興は加速的に進んだ。
行政が復活すると、ライフラインの復旧も進んだ。
道路が整備されて物資の調達が可能になった。
鉄道と空路は、遠くの海に打ち上がった人達を故郷に地に返した。
最初は国境も曖昧だった。言葉が通じない人達もいた。世界中の人々が世界中の海に散らばり、世界中の浜にうち上がって、復興と共にそれぞれの地に帰って行った。
勿論、悪意を持つ者が調和を乱し、犯罪を起こすことも多かった。
いつの間にか2年の時が過ぎていた。その頃には僕もアスカも食事やトイレが出来るようになっていた。 僕が帰還後初めて食事をしたのは、最初に移動した避難キャンプでのこと。 炊き出しで渡された小さなおにぎりと味噌汁。口にして初めて空腹を感じた。食べた後、何故だかボロボロ涙がこぼれておばちゃん達に慰められた。
『あはは、よっぽどお腹空いてたのねぇあんた達』
気が付くとアスカも隣で食べて泣いていた。
僕達は食べて、泣いて、おかわりして、泣いて、最後は何故か泣きすぎ!とアスカにどつかれて、笑った。
その後も僕達は一緒にいた。
避難キャンプは何度か移動したが、僕とアスカはいつも二人一組だった。
二人の関係を聞かれると、友達と言ってみたり兄妹と言ってみたり、時には恋人と言ってみることもあった。
実際、当時の僕達はそのどれもであったと思う。
友達と言った時のアスカは不満気で、兄妹と言った時は不機嫌で、恋人と言った時は怒っていた。僕達は友達のように喧嘩をし、兄妹のように助け合い、恋人のように寄り添った。
毎日口喧嘩しながら海に行った。
海から戻る者達は、生きて戻る者も死んで戻る者もいた。
帰りは手を繋いで帰った。
僕達が小さな避難キャンプばかりを渡り歩き、大きなコミュニティに近付こうとしなかったのは、きっと無意識にその日を避けていたからだと思う。だけどその日は突然やって来た。
ある朝、小さなキャンプのテントの中で眠っていた僕達は、ヘリのけたたましい渦騒音で目覚めた。飛び出したアスカに続き外に出ると、そこには黒い軍用ヘリが停まっていた。
『……見つかっちゃった』
轟音の中、アスカの呟いた声が忘れられない。
ヘリの中からは知らない男性とマヤさんが降りてきた。僕達は少しばかり話をした後、お世話になったキャンプの人達にお礼を言い、ヘリに乗った。
『来るのが遅すぎんのよ!』
アスカの憎まれ口を聞いて、僕は僕達がもうただの帰還者ではなく、罪を背負う元パイロットに戻ったのだと気付いた。
その後、別の海辺に造られたある施設に連れて行かれた僕達は、そこで ”綾波” と再会した。
――――――――………
それから時は過ぎて現在。
サードインパクトから4年。僕とアスカが海辺で暮らしたのは最初の2年と少し。マヤさんに再会した後は彼女が属する組織に入り、現在僕達は街で暮らしながらそこの職員として働いている。
海は1年程前に青色に戻り、今は上がってくる者もいなくなった。僕達が今も毎日バスに乗って海に行くのは、海に造られた ”職場” に行くためと、いまだたった一人だけ海にいる綾波に会うためだ。
そして今日は、もう一つ。
「あ、バス来たよアスカ」
「……うん」
「きっと大丈夫だよ、アスカ」
「わかってるってばバカシンジ」
僕の願いは聞き届けられた。人もパイロットも戻ってきた。
僕が選んだ後の世界は、ちっとも優しくも甘くもなかった。相変わらず痛くて、辛いことが多くて。
だけどこの世界は、アスカの変わらない口の悪さと、他人の体温の暖かさを残してくれた。
僕達は今、この新世界で生きている。
END.