その後僕は、夕方の終わりからとっぷり夜になるまで、渚に変なことをされた。まぁされたと言っても最後の一回は僕がねだったわけだから、お互い様って感じだけど。
渚のキスはいつも優しいけれど、今日のは特別優しい気がした。
頭の先から爪先まで全身にキスの雨を落とされて、僕はくすぐったくてげらげら笑った。

「ふはー、疲れたっ」
「張り切りすぎだろ」
「シンジ君だって張り切ってたくせに」
「僕はちょっとしか張り切ってないよ」
「むふふ。ちょっと張り切ってたくせに」
「まあね。んふふ」

狭いシングルベッドは男二人が寝転んだらパンパンだ。僕は、僕が落ちないくらいにスペースを空けてくれている渚の横で、体を横にして彼に背を向けた。
男同士の僕らは腕枕なんて滅多にしない。だけど僕がこうして背中を向けると、渚は必ず後ろから抱き付いてくる。だから当然今も抱き付かれている。

「んー、シンジくん」

さっきソファでやってたみたいに、鼻をふんふん押し付けてくる。
夕方は埃の匂いがしていた渚からは、今はほんのりシャンプーの香り。
変なことをした後の、ほんのちょっぴりの汗の匂い。

「くんかくんか」
「人の後頭部を嗅がないでよ」
「シンジ君の匂いがする」
「そりゃどーも」
「加齢臭出てるよ」
「……殴っていい?」
「ねぇ、なんで急に三佐を説得してくれる気になったの?」
「えー?」

顔だけ捻って背後に向けると、すかさずこめかみにチュ、とされた。
大げさに手で拭う真似をすると、その手にまでキスをされた。

「シンジ君、最初は三佐の言う事聞いて20歳まで待つって言ってただろ?一緒に住むの」
「うん」
「なんで急に気が変わったのさ」

指先をあむあむしようとする唇から手を回収して、僕は「別に」と言った。

「特に深い理由はないよ。ただ君んちと僕んちを頻繁に往復するのも面倒だし、泊まっても着替えとか次の日授業でいる物とか一々足りないものが出てくるし。住むとこ統一しちゃえば簡単になるかなぁって思っただけ」
「あ、割と現実的な理由なのね」

渚は「色気ないね」と言ってもう一度僕の後ろおでこに鼻をくっつける。
確かに僕も色気ないなとは思うけど、実際の理由なんて、まぁこんなものだ。

「どうせ来年からは一緒に住む予定だったんだし、一年ぐらい前倒しにしてもいいかなって思ったんだよ」
「ふんふん」
「僕もあとちょっとで19だしね」
「ふうん。何にせよ僕は早い方がいいけど。あ、でも、あーそっか。シンジ君ここに住むのか。じゃあ早まったかな。うーん……」
「?」

急に渚はわざとらしく「うーんうーん」と首を傾げ始めた。

「何だよ?」
「うーん」

しきりに唸られると当然気になる。くるりと体を回して正面から向き合っても、渚は何度も首を捻って自分にぶつぶつ言ってるだけ。
だからおでこをパチンと叩いてやった。

「こら。何か言え」
「あっ、うん」

わざとらしいなぁ、もう。

「これ、これさ。これなんだけど」

僕をベッドから退くように指示して、渚はマットレスを捲った。
マットレスの下には、さっき僕から取り上げたバイクのパンフレット。あんなに慌てて隠したくせに、今は堂々と取り出して戻したマットレスの上にばらりと広げた。

「これこれ、この原チャ」
「うん」
「実はもう買っちゃった」
「え゙」

ベッドの上に座り直して渚の指差す赤丸を見ると、それは少し前に出たばかりの、割と新しい型の原付バイクだった。人気の若手男性タレントがCMしていて、BGMが僕の好きなアーティストだったからよく覚えてる。
でも、買っちゃったって君……

「買ったって、渚免許ないだろ」
「うん」
「どうするんだよ。言っとくけど無免は駄目だよ。僕がミサトさんに殺される」
「うん。だからこれ、僕のじゃなくて君の」

僕の?

「これ、シンジ君の誕生日プレゼント」
「!」

渚はにひ、と笑って人差し指で鼻の頭を掻いた。
僕はびっくりして思わず眼を見開いた。

「誕生日プレゼントぉ!?」
「うん」
「馬鹿馬鹿、こんな高いの貰えないよ!」

原付バイクと言ってもほぼ最新モデルだから、中古で買ったとしても10万は下らない。そんな高いの、いくらなんでも貰えるわけがない。僕が彼にあげた誕生日プレゼントなんて精々安物の時計がいいところだ。
それにバイクって保険とか何とか、色々手続きがあるんじゃないの?

「でももう買っちゃったし」
「馬っ鹿!なんで先に相談しないんだよ!」
「プレゼントだから」

そりゃそうだろうけど。

「あーもー嘘だろ、ごめん渚っ」
「なんで謝んの?」
「こんな高いの買わせたくなかったんだよ。君、何の為に朝から晩まで働いてるんだよ」
「そんなに高くないよ。て言うか値下げしてもらったんだ。サイトーさんの伝手で」

サイトーさん?

「サイトーさんと言うと……インドとシベリアに奥さんがいるって言う、君の職場のあの人?」
「フィリピンとアラスカとエジプトだよ。その彼が、ここのディーラーに伝手があんの。彼が一声かけたら何故か色々激安になるんだよ」

ど、どんな人なんだサイトーさん。

「シンジ君ちから僕んちまでって自転車飛ばしても30分はかかるだろ?途中結構な坂もあるし、原チャなら少しは楽になるかなと思って。諸々の手続きは代行してもらったんだ。勿論後で君に書いてもらう書類もあるんだけど」

本当は車を買ってやりたかったんだけど、なんて言われて僕はまた眼を丸くした。
……びっくり。凄く、びっくり!
こいつが、渚がそういう事考えるなんて思わなかった。
ちょっと前まではもっと ”シト” だったのに。
イベント事なんて興味ないか、精々珍しいからやってみる、ぐらいの奴だったのに。
なんかこう……普通。
普通に、嬉しい。
どうしよう、ちょっと嬉しいんだけど!

「信じられない。渚が男前だよ」
「僕はいつも男前」
「ありがと、渚」
「うん。でもシンジ君がここに引っ越して来んなら必要なかったかも。もっと別の物が良かったかな?たとえば、鍋とか」
「……いや、鍋はあんまり嬉しくない」

僕は顔がにやにや笑ってしまうのが押さえられなかった。片手で頬を押さえて、改めて渚が僕の為に集めたパンフレットを手に取って眺める。
いくつか付いてる赤丸はどれも似たようなタイプの原チャリで、丸の上に大きくバツが付いてるやつは、その中でも割と高そうなやつだった。
このパンフレットはサイトーさんから貰ったのかな。
渚なりに色々考えて決めてくれたんだろうな。
自分は乗れない原付バイクをあれこれ悩みながら選んでいる渚を想像すると、更に頬が弛んでしまう。
馬鹿だなぁ、渚。
こんな高いのいらないのに。
足ならあの自転車でも良かったのに。
でも。でも渚。
でも。

「絶対大事に乗るよ。学校もバイトもこれで行く。ありがとう、渚」

渚は珍しく照れ臭いのか、僕から眼を逸らしてそっぽを向いて、 「5日後には届くから」 そう言ってニヘニヘと笑った。

……更にその後、うっかり盛り上がってしまった僕達は、もう一度だけ変なことをすることになってしまった。一緒にいて何年経っても、こういう単純なところは二人共変わらない。
終わった後はさすがにお互いバテバテで、シャワーもそこそこに布団に潜り込んた。あんまり干してないぺちゃんこの布団。ふんにゃりしていて気持ち良い。
狭いベッドの中で、プレゼントは広いベッドでも良かったかな、なんて贅沢な事を考える。
これから毎日一緒となると、シングルベッドじゃ暑苦しいかな。 喧嘩なんかした時は欝陶しいよな。
でもまぁその時は、渚をソファで寝かせりゃいいか。キヒヒ。

「くふふ」
「何?何笑ってんの?」
「別に。イヒヒ」
「……シンジ君気持ち悪い」
「ふふ。ねぇ渚は僕の誕生日、仕事は休みじゃなかったよね?」
「うん。だから夜、原チャだけ運んでもらう。サイトーさんの子分の軽トラで。」

子分?

「キーはいつ渡そうか?シンジ君取りに来る?」
「や、次の日にするよ。その日は君が仕事だって聞いてたから、夜久しぶりにケンスケ達と会うんだ。何かごはん食べようって」
「ふぅん。とか言ってコンパ?」
「とか言わなくてもコンパ。僕は数合わせだけど」
「変なことして来ないでよ」
「くふふ。マリちゃんも来るんだよね~」
「誰?マリちゃんて」
「くふふ……ぐえ!」

冗談の裏拳を食らった後はおやすみキス。一日で一番優しい最後のキス。
そうして僕は、狭いベッドで背中に渚カヲルを張りつかせて眠る。
いつもの腕がいつもと同じに僕を包み込んで、本当は僕もこうしてる時が一番シアワセだ。
当たり前な日常で、当たり前になった僕達。
僕は5日後に誕生日が来て、このアパートに原付バイクが届いて、次の渚の休みにはここに引っ越して来る。鍋も近々買うだろう。

14の終わりに終わらないキスを覚えた。
18の終わりにはサイトーさんが気になってる。
一緒にいるのが普通になって、ドキドキもトキメキも無くなって、冗談のセックスと裏拳が出来るようになっても、最後のキスだけは泣ける程優しい。
そしてそんな日々が笑える程愛しい。
この日常がずっと続けば良いと思う。
きっと渚もそう思っている。

渚カヲルと僕は、そういう奴らだ。

END.