赤い波の打ち寄せる海岸に、アスカは立っていた。
海は血のように赤く、足元の砂は骨のように白く。垂れ込めるカーテンのような黒い空の下、陰気な生命のスープがたゆたゆと揺れる様を眺めて、溜め息をついた。
「またここなの。いい加減にしてほしいわ」
アスカの知る本物の海は、既に青色に戻っている。海が赤かったのは一年前までの話だ。
また同じ場所の夢、どうせ背後には廃墟でも広がってるんでしょ、と振り向くこともせず、アスカは海を睨んで腰に手を当てた。
この夢は特に何も起こらない。海を眺めて延々ぼんやりするだけの寂しくて虚しい時間が続くのだ。
「ったく。シンジは何やってんのよ」
以前は恐ろしかったこの夢も、シンジが揺り起こしてくれるようになってから随分と経った。自分ではわからないがうなされているのか、シンジはアスカを夢から引き上げてくれる。
起こすタイミングだけは割と上手いのだけど、昨日は一緒には寝なかったんだっけ、と、半分諦めて水平線を眺めた。
赤い海からは誰も上がってこない。現実の海からは殆どのヒトが戻って来たけれど。
夢の中の海はシンジが解離を拒んだ融和の海で、この海全体が一つの生命だ。全ての人が一つになった世界からたった一人だけ放り出されて、正気を保てる者などいない。アスカも夢のラストでは毎回精神が壊れ、叫びながら飛び起きる。そしてみっともなく泣きながらシンジに慰めてもらわなければならなくなる。
毎度毎度、嫌になるわ。
自己嫌悪でうんざりしながら、アスカは何気なく横を向いた。そして波打ち際にある “それ” に気が付いた。
「えっ、ゴミ?」
最初はゴミのように見えて驚いた。この赤い海の世界には、瓦礫はあってもゴミというものは存在しない。しかしそれは遠目には潰れた白いゴミ袋に見えた。
物珍しさに歩いて行くと、次第にそれがゴミ袋ではないことに気が付いた。足元の間近で見たそれは、大きな鳥の死骸だった。
「でかっ」
何という名の鳥だろうか。街では決して見ることのない鳥だ。白鳥?ペリカン?コウノトリ?温泉ペンギンではないことは確かだ。
鳥は長い首と白い翼をぐにゃりと曲げて横たわっていた。波で濡れそぼった曲がった体は、蛇がとぐろを巻いているようにも見えた。
「うぇ、キモチワルイ」
単一の生命が支配するこの夢の世界で、生き物がいるなんて珍しい。しかし何にせよ死んでいるのだ。死骸は死骸。死んだ鳥なんて気持ちが悪い。
アスカは足元の濡れた砂を二三度蹴って鳥にかけ、踵を返した。
「シンジは好きそうよね、ああいうの」
鳥から距離を取って砂の上に座った。何となくシンジは好みそうだと思った。
曲がった首を伸ばし、羽根を整え、剥製にでもしてやったら喜ぶかしら。それともやはり死骸は死骸と気持ち悪がるかしら。
きっと生きていたら餌をやって面倒を見て、なつかれて困った顔をするわね。
カルガモの親子行列みたいに、あの大きな変な鳥がシンジの後をついて歩けば面白いのに。
「あんた、なんで死んでんのよ」
声に出した後、自分も何故いつまでも寝ているのだろうかと思った。
何も夢のラストまで待つことはない。シンジが起こしに来ないなら、自分から起きればいいじゃない。鳥と違ってこっちは生きてて、目を開けるくらい造作もないことなんだから。
「そうよね。うん、そうしよう。じゃあねとりさん、バイバイ」
アスカは鳥に向かって言うと、目を開けた。
夢の世界が終わり現実の天井が目に入った時、微かに何かを思い出した。
あら?そういえば確か、前にも鳥が……
朝の光が目に入ると思い出したことは忘れてしまった。代わりに腹の中に鉛が沈むような鈍痛を感じた。
アスカは体を起こして頭を掻いて、部屋を出て階段を降りて行った。