「あ、いた」
「あー!やっと見つけた!」
僕とシンジ君は中庭の噴水の前で合流した。
「もう帰ったかと思ったよ」
「ああファーストに会ったんだけど、君の居所までは聞いてなくてさ」
探したよ、と言うとシンジ君は、
「そうなんだ、ゴメン。こっちが用事あったのに」
と申し訳なさそうな顔をして、顔の前に片手を立てた。
彼のこういう素直な仕草は好感が持てる。僕は会えた事が嬉しくなった。
取り敢えず僕達は二人並んで噴水の縁に腰掛けた。中庭は庭園風に整えられていて、緑と水の音が心地良い。
僕は両足を伸ばして寛いで、横からシンジ君の顔を覗いて聞いた。
「で、用事って?」
「うん……」
用事なんかなくったってかまわないけど。僕はそう思ったけれど、肝心のシンジくんはきちんと座って俯き加減だ。あれ?
「もしかして元気ない?」
「え?そんな事ない……よ」
「元気ない?」
「やー…」
「元気ないね」
「あー、うん……」
バレたかって顔。シンジ君はわかりにくいけどわかりやすい。
「どうしたの?」
「うん……ちょっとね」
また何か考えてるな。きっとまた誰かの事だ。
こういう時、正直僕はどうしていいのかわからない。今までこういう場合の僕の発言って、ことごとく裏目裏目に出ているし。下手に喋るとまた怒らせそうな気がする。
「シンジ君?」
「あ、うん。ごめん」
「うん……」
僕は取り敢えずシンジ君と同じく下を向いて、キレイに整地された地面を見た。
「……」
地面。ただの地面。やっぱりシンジ君の方を見た。
「……」
シンジ君。こっちはシンジ君。俯いてるシンジ君。
うん。こっちのが全然いい。
「あ、あのさ、渚くん」
「うん?」
急にシンジ君がこっちを向いた。横からジロジロ見ていた僕と眼が合った。
……あれ?何か変だな。
だって今日は彼の方から眼を逸らさない。いや、それどころか僕の眼をちゃんと見た。
(わ……)
シンジ君の黒い眼は、近くで見るととても印象的だ。
さっきの綾波レイのとは全然違う、もっともっと表情のある眼。
それは大抵怒ったり困ったりしてる場合が多いんだけど、最近は笑ったり楽しそうだったりする事も増えてきた(気がする)
くるくる変わる面白い眼。
見てると、もっともっと知りたくなる。
心の中を覗きたくなる。
その睫毛に……触れたくなる。
「実は渚くんに頼みがあるんだけど、いいかな?」
シンジ君は少し神妙な顔をして言った。
さっきのファーストといい、なんか今日は珍しい日だ。
「いいけど、何?」
「今日さ、君の部屋に……泊めてもらえない、かな?」
「へ!?」
何気なく聞いた僕の耳に、何気なくじゃ済まない返事が返ってきた。
え?何今の?聞き間違い? なんか今、変な事言われた気がする。
「ごめん、もっかい言って?」
「あの、迷惑でなかったらでいいんだけど……」
「うん」
「……うん」
「うん」
「……うん」
「うん?何の話?」
「え?あー、だからぁ」
シンジ君はこっちを見ながら苦笑している。あれ?聞き間違いじゃ……。
「泊めてって言った?今」
「うん、言った」
え。
「えーーー!!」
僕は思わず大きな声を出した。
「何何!?どうしたのさシンジ君!どういう風の吹き回し?」
「迷惑かな?」
「全然迷惑じゃないけどさっ!?」
「じゃあ、OK?」
「何かあったの!?」
「うん、ちょっと……」
「全然オッケー!」
びっくりした!どうやら聞き間違いじゃなかったらしい。
シンジ君は相変わらず苦笑しながら、悪いね今日一晩だけ宜しく頼むよ、なんて言っている。
こんな事もあるんだと、僕は腕を組んで足も組んだ。
僕は……シンジ君はもう二度と僕の部屋には来たがらないものだと思っていた。
「嫌なのかと思ってた」
「え?」
「僕の部屋。何で気が変わったの?」
「別に嫌だったわけじゃないよ。その……前の時はごめん」
シンジ君は軽く頭を下げて言う。確か前も謝られた気がする。
「僕少し、渚くんの事誤解してたんだよ」
「誤解?」
「うん。実はその……もっと嫌なやつだと思ってたんだ。君の事」
またもやごめんと言われ、またもや頭を下げられた。
じゃあ今はそうは思ってないの?と聞くと、そうだな今はもう思ってない。と言われた。
「思ったよりはマシなやつだったよ」
「うわ失礼」
「思ったより変なやつだったけど」
「失礼すぎるよ、君!」
二人同時にあははと笑った。笑いながら僕は、左手で自分の頬を押さえた。
どうしよう。嬉しい。
何だか知らないけど嬉しい!
頬が緩んで顔がにやけた。よくわからないままに顔が熱くなった。
シンジ君がうちに来るんだ。
シンジ君がうちに来るよ!
今はイマイチ元気のない顔しているけれど、それでも今夜はうちに泊まるんだ。
思うと胸が暖かくなった。
嬉しい。嬉しい。嬉しい。嬉しい。
胸の中が暖かい。
暖かくて、左手が。
左手が吊れる。
左手が。
左、手が。
つれる。
左
手、
が。
左
手
ガ
「……!」
突然左手に痛みが走った。中指を中心に肘までを直線上に痺れが襲う。
「ちっ!」
僕は咄嗟に立ち上がり、シンジ君に背を向けて数歩距離取った。反り返る手首を強引に内側に折ると、痺れはしゅるりと指先へと戻った。
「渚くん!?」
僕の唐突な行動に驚いたのか、シンジ君も立ち上がって僕に寄った。
「どうしたんだよ!?」
僕は手袋越しに左手を押さえ、念の為もう一度手首を内側に折った。
「渚くん?」
「あっと、もう平気」
ぱ、と肩まで両手を上げ、くるりと振り向いて笑ってみせた。
「大丈夫。何でもないよ」
手の平をひらひらと振る。しかしシンジ君の視線は僕の左手に注がれた。
「血が……」
「え?」
見ると白い手袋の一番長い指の部分が、赤い血で染まっていた。
ああ、もう余計な事を。
出しゃばりだね。
・・・サエル。
「血が出てる」
「あ、うん」
「うん、じゃないだろ」
「うん?」
「馬鹿!それ取って見せてみろよ」
言うなりシンジ君は僕の手を取り、手袋を剥ごうとした。
「この手袋……どうしたんだよ?訓練の時から気になってたんだけど」
へぇ。僕の事気にしてくれてたんだ。
「あのさ、見ないほうがいいよ?」
「何でだよ」
「爪がない」
「え゙!?」
「割れて欠けて取れた」
「ちょ、治療は?」
「ううん。だからグロい」
「グロいって、もしかしてそれで手袋を?」
「うん」
「馬っ鹿!」
手袋を剥ぎ取られた。爪の殆ど残ってない中指が露わになる。
血がぽとん、と垂れた。
「うわ!痛そう……」
「血が付くよ」
「医務室行こうよ」
「え、何で?」
「何でって、痛いだろ?」
そう言ってシンジ君は、僕の代わりに痛そうな顔をした。
「ほっときゃ直に生えてくるよ。爪なんだし」
「バイキン入るよ?」
「そうだけど」
するとシンジ君は、自分のポケットから何やら白っぽい布を取り出した。
ん?え!ちょっと!
「ちょっと君っ!何やってんのさっ!」
「うわっ!?」
僕は指先にハンカチを当てようとしたシンジ君を突き飛ばした。
シンジ君は二、三歩よろめいて驚いている。
「ご、ごめん痛かった?」
「何してんのさ!」
「だって血が出てるから」
からって、君!
「出てるから付くだろっ!ハンカチにっ!!」
「……え?」
「え!?」
「えー…?」
「…え?」
「……」
「……」
??あれ??
少しの沈黙の後、シンジ君はやれやれといった顔をして腰に手を当てた。
「あのね、渚くん」
「ハイ」
「血が出てるから、治療するんだろ?」
「うん」
「んじゃ、手貸して」
「うん……」
僕が素直に左手を差し出すと、シンジ君は指にハンカチを当ててくるくると器用に巻いて簡単な止血をしてくれた。布の当たる部分がじんわりと痛い。
「慣れてるね」
「エヴァに乗ってるとね。君もすぐこうなるよ」
軽く笑う。
「それにしても渚くんって本当に変なところ抜けてるよね。ここに来る前は一体どんな生活してたんだよ」
「シンジ君……」
僕はちょこんとハンカチの巻かれた指を見た。
白に見えたけど薄水色だったハンカチ。きっと沢山血が付いてしまった。
「どうもありがとう」
ハンカチを見ながらお礼を言った。シンジ君は「どういたしまして」と言ってくれた。
「じゃあ後で荷物持って部屋に行くね」
「あ、うん」
「ごめんね。急に押しかけることになって」
「あ、うん」
「……」
「あ、うん」
「ちょっと渚くん?」
ていっ!と頭にチョップされた。全然痛くないけどびっくりして、僕は見ていたハンカチからシンジ君に顔を向けた。
「何?」
「何じゃないだろ。もう、いつまでそうやって照れてるんだよ」
え?
「気持ち悪いよ、君」
シンジ君は笑った。照れてる?僕が?
「じゃあ後で」
「うん。あ、そうだシンジ君!」
僕は立ち去ろうとしたシンジ君を呼び止めた。
「あのさ、何でさっき痛そうな顔をしてたのさ?」
僕の手を見て。
「えぇ?だって君が痛そうだったから」
「でも痛いのは僕だろ?君じゃない」
「……君ね」
本当に本当にそういうところ抜けてるよな、と腰に手を当てながらシンジ君は言った。
「過呼吸はうつらないけど、こっちはうつるんだよ」
「え?」
そしてシンジ君は、お馴染みの少し困ったような顔で笑いながら、僕に不思議な事を教えてくれた。
「 ”気持ち” はね、人にうつるんだよ?渚くん」
END.