尻子玉災難 - 1

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川沿いの道を少年が歩いていた。
炎天下である。
灼熱の太陽はジリジリと田舎の古いアスファルトを熱していた。

白線のない一本道。歩道と呼べるものはない。柵やガードレールもなく、路肩は草のぼうぼうと生えた河原の土手と繋がっている。
川と逆側は田んぼで、こちらは一度刈られた短い草ばかりの畦になっており、畦の先には穂をつける前の稲の葉が辺り一面濃い緑を広げている。
少年は額にびっしりと汗を浮かべ、ふうふうと肩で息をしながらふらふらと歩いていた。
齢十四、五だろうか。白地のポロシャツにカーキ色のハーフパンツ。両手には缶とペットボトルの飲料が何本も入ったビニール袋をぶら下げて、少し歩いては少し休み、また少し歩いてはまた少し休みを繰り返している。
短い黒髪は汗で額に張りつき、ポロシャツの脇と背は濡れて色が変わり、重い荷物と暑さのせいで少年の歩みは遅かった。
川下から川上へ、どうやら上流を目指しているらしい少年は、暫くノロノロ歩いていたが、やがて大きくよろめくと、半ば倒れるようにしてがくりとアスファルトに膝を突いた。

「はぁっ……はぁ……水…」

少年は手に持ったビニール袋の中からペットボトルのミネラルウォーターを取り出すと、震える指でそれを開け乾いた口元へ持って行った。
しかし唇に水気が触れる前に力無くボトルを取り落とすと、白目を剥いて前に倒れそのまま動かなくなってしまった。

”シャワシャワシャワシャワ”

油蝉の声が降り注ぐ。道は車一台通らない。
少年は完全に意識を失っていた。
日に炙られたアスファルトから陽炎が立ち上がり、周りの景色を揺らしている。倒れる際に撒き散らしたペットボトルの水は、早くも乾いて路上に薄いシミを残すだけとなっている。
太陽は情け知らずに照りつけ、アスファルトもまた熱い。時折稲の葉を揺らす乾いた風も、温いだけで暑さを和らげるには至らない。
日に焼かれ地面に焼かれ。
上からも下からも炙られて、少年は刻々と乾いていった。


――――――――………

その様子を見ていた者がいる。
河童である。
普段はもっと下流を縄張りとし、今日はたまたま餌探しに遠泳していた河童の父子である。
先に少年を見つけたのは子河童の方だった。

子河童は、はじめ川の中央でフナの子を追いかけていたが、道の上に少年の姿を見つけ慌てて水中に隠れた。
暫く水面に皿と目だけを出して様子を伺っていたが、やがて少年が倒れ、いつまでたっても起き上がらないことから、とうとう川底で藻などを漁っていた父親に声をかけた。

「父ちゃん、あんな所で人間が寝てるよ」

父河童が息子の指差す方を見てみると、なるほど人間が倒れている。すぐに目覚めそうな気配はなく、それどころか暫く眺めていてもまるでピクリとも動かない。

「父ちゃん、あの人間死んでるのん?」

まさか死んではいまい、と思いつつ父河童は空を見上げ、待てよと思い直した。空は痛い程のカンカン照りで、今は死んでなくともこのままではいずれ干からびてしまいそうだ。

「ねえ父ちゃん、あいつ死んでるなら家に持って帰って食べちゃおうよ」
「馬鹿を言うない。人間なんか食っても美味いものかい。それにあれは死んではおらん。下手に関わるとやっかいだぞ」

この田舎町にはキャンプ場がある。この川沿いの道も普段は人も車もあまり通らないが全く無人というわけではない。行楽シーズンにはにわかアウトドアファンでそれなりに賑わうこともある。
下手に関わって人に見つかり、河童退治になど来られては困るのだ。

「息子よ、あんな人間などほっといて母さんに沢ガニでも捕って行ってやろう。向こうにタニシも沢山いたぞ」
「いいや父ちゃん、母ちゃんに土産ならカニよりいいのがあるよ。ねえあいつの尻子玉(しりこだま)、取れないかな?」

すると父親はたちまち額に皺を寄せ恐ろしい顔をした。

「ならん!尻子玉など取ってはならん!」
「なんで?僕らのご先祖様は尻子玉を抜いてたんでしょう?抜いた尻子玉でお手玉をした、尻子玉を食べると寿命が伸びた、なんて言うじゃない」
「そんなのは大昔の話だ。お前の爺さんの爺さんの……お前もわしも生まれるうんと前の話だよ」
「どうして河童は尻子玉を抜かなくなっちゃったの?」
「人間が恐ろしいからだ。あいつら知恵が利いていつの間にか河童封じの法を生み出しよった。塚や堂に封じられたり、家来にされて使役された仲間のなんと多いことか。だから我々の先祖はもう人間に悪さをしない、関わらないと決め尻子玉を抜くことを禁じてきたのだ。お前も馬鹿なことを考えるのはやめて大人しくカニでも捕ってなさい。一族のためだ」

父河童は息子の肩に水掻きを置き「さあ」と水の中へ促した。しかし子河童は納得いかないといった表情でその場から動こうとしない。

「でもさあ、父ちゃん」

クチバシを尖らせて子河童は言う。

「あの人間、あれほとんどもう死にかけてるし、周りに他の人間もいないし、今なら尻子玉を抜いても大丈夫なんじゃないの?」
「何を言うか。もしも人間が途中で目覚めて河童だ河童だと触れ回ったらどうするんだ」
「素早くやれば大丈夫だよ。あいつが目を覚ます前にさっと取って、他の人間が来る前に捨てておけばいいじゃない。人間は尻子玉がないと死んじゃうんでしょ?死んだら喋れないよ。絶対大丈夫だよ」

幼い子河童にとって尻子玉はこの上なく魅力的なものだった。
祖父や祖母、また多くの河童達により語り継がれてきたお伽噺話。その話に必ず登場する伝説の玉を直に目にするチャンスなのだ。

「ねえ父ちゃん良いでしょう、おねがーい」
「ええい駄目と言ったら駄目だ。聞き分けのないやつだなぁ」
「父ちゃんだって尻子玉を見たことないんでしょう?見たくないの?」
「見たい見たくないの問題じゃない。とにかく人間は駄目だ。危険なんだよ」
「危険じゃないよ、死にかけてるんだから。ほら父ちゃんよく見てよ。あいつさっきからちょっとも動かないよ。お日様はずっとカンカン照りだし、あれじゃあいくら人間でも乾いて死んじゃうよ。どうせ死ぬんだから尻子玉をもらってもいいじゃない。そうでしょう?」

すると子河童は突然父親の手を払い退け、水から飛び出して土手の上に躍り出た。

「こらっ!おいっ!」

慌てて追いかけるも、身軽な息子はぽんぽん土手を駆け登り、息を切らした父河童が追い付いた時には既に少年の傍らでその丸い後頭部を覗き込んでいた。

「ほらほら父ちゃん、やっぱりこいつ全然起きないよ。平気だよ」
「おっお前という奴は……」
「へぇ~人間って近くで見るとこんななんだ。本当にお皿がないんだなぁ。へえぇ~」
「はぁ……」

まるで言うことを聞く気がない。父河童はクチバシから深々とため息をもらした。
どうやら子河童は何がなんでも尻子玉を抜く気らしい。抜かずに帰るという選択肢は頭にないようだ。

「……仕方あるまい」

父河童はついに諦めて、顎をしゃくって息子に人間の足元に回るように指示を出した。
父河童は慎重派である。こんな目立つ道の上でやるのはまずい、せめて河原に移動しようと考えたのだ。
大喜びする息子を一睨みし、父と息子は協力して頭と足を持って少年を抱え、河原へと運んだ。そして再び少年を寝かせると、今度は二匹して上から覗き込んだ。

「さあて父ちゃん、まずどうすればいいの?」
「そうだな……まずは着物を脱がせないとな」
「オイラがやる!」
「まず帯を解くんだ。ヘソの辺りに結び目があるはずだ。そっとやるんだぞ、そーっと」

子河童は言われた通り少年の腰に手を回し、ハーフパンツの前を探った。水掻きのぬめりで多少苦労はしたものの、何とか腰ひもを見つけてそれを解き、無造作に尻のポケットを掴んで下着もろとも引き下ろした。

「うは!出た!」
「ほほぅ、これは……」

少年の尻があらわになった。
少年の尻は白かった。
見た目は河童の尻とよく似ている。しかしこの中にお宝が眠っているかと思うと、白く磨かれた珠の肌に見えてくる。
あれだけ反対していた父河童も、つい我を忘れて喉を鳴らした。
父河童とて河童。尻子玉に憧れる本心は子河童と同じで、ここまでくれば理性より好奇心の方が勝る。

「よおし、あとは尻の中から玉を取り出せばいいんだよね」
「うむ……しかしこれでは尻に手が入らんな。もっと足を広げないと」
「オイラがやる!」
「いや待て、足は父ちゃんがやろう。お前は尻に手を突っ込んで中から玉を取り出すのだ。良いか、くれぐれもそっとやるんだぞ。そーっと」

父河童はまず子河童が中途半端に下ろした衣類を完全に脱がせ、適当にその辺へ放った。そして尻の方を向いて少年の腰にまたがり、両手で尻たぶを掴んでグイと左右に押し開げた。

「よし、今だ!」

つい鼻息を荒くする父河童。

「いくよ父ちゃんっ!」

子河童はくわと目を剥くと、躊躇なく尻に右の拳を突き立てた。

「は、入っ……た!?」

しかし実際は入らなかった。
いくら子河童が拳をぐいぐい押し付けても、入り口が狭すぎて右手は一向に入らない。しかも河童の水掻きは水草のようにぬめる。拳は尻の上をあらぬ方向へぬるぬる滑った。

「駄目だ父ちゃん、入らないよ……」
「諦めるな息子よ。まずその拳を開くんだ」
「こうかい?」
「そうだ。尻の穴は狭いんだ。初めからそんなに拳を握っていては入るものも入らんだろう。まずは指を入れてみろ」
「指を?」
「そうだ。まずは一本……いや、二本でもいいかな。二本の指を入り口に当て、ゆっくり差し込んでみろ」

父河童は顔の前で指を二本、くいくいと動かしてみせた。

「先端を入れ、うまく入ったら根元まで入れ、抜き差ししながら揉みほぐす。なあにほぐれてしまえばこっちのものだ。あとは残りの指を入れ、尻子玉を掴んで引っこ抜け。玉は目の前、宝は目の前だ!行け!息子よ!」
「父ちゃんモノ知りィ!」

まさに本能。さすがは河童と言うべきか。人を襲わなくなった現代の河童。しかし父河童のアドバイスは封じられた尻子玉抜きの秘技そのものだった。
子河童は言われた通り尻の入り口に指先を二本当ててみた。軽く押すと確かに入りそうな手応がある。
子河童の顔が輝いた。間違いない。今度こそ尻子玉に手が届きそうだ。

「入れるよ父ちゃん」

父子は大きく頷き合い、それを合図に子河童は指にぐっと力を込めた。

「……!」

指の先端が穴の入り口を割る。更に力を込めると、つぽんと簡単に第一関節まで埋まってしまった。先程苦労した水掻きのぬめりが今度は助け船となったのだ。
ばくばくと子河童の心臓が鳴る。父もうっすら頬を紅潮させ、子河童の手元から目を離せない。
もう少し。もう少しで全部入る。
入れば抜き差しほぐし、穴を広げ、そしていよいよ中から玉を……
子河童は大きく喉を鳴らし、ついに穴を貫く最後の力を込めた――

――と、その時。

「おおーい、シンジくーん!」

道の上から人の声が聞こえた。
二匹はすぐさま飛び退いて、急いで川の中に飛び込んだ。



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