返還 - 1

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最初は面白いと思ったのに。

『冴えない顔をしているな』

水面に黒いモノリスが浮かび上がる。ここは湖畔。ファーストの死んだ場所。
頭に直接流れ込む老人の声にイライラする。
顔顔って……どいつもこいつも煩い。

「別に。僕の顔なんてどうだっていいだろ」
『何故報告をしなかった』

報告?

『ファーストチルドレンの事だ。先の負傷以来、再びサードチルドレンとコンタクトを取り始めたらしいではないか』

ああその事か。なんだもう知ってんだ。相変わらずの地獄耳だね。
ねぇそんだけ耳が良いのなら、僕が報告しなくてもいいんじゃないの?

「別に。確かにファーストはサードと接触してるけど、あんた達が気にするような事じゃないんじゃないかな。一緒に学校に通ってるだけ。同じ中学なんだから当然だろ」
『それはお前が判断する事ではない』

……まあね。

『お前は全てを報告すれば良いのだ』
『左様、そして問題はお前が報告を怠った、その事実だ』

ブゥンと音を立ててモノリスがもう一体増える。湖の表面が円の形に波を立て、その波紋を広げて続けてもう一体の柱が迫り上がる。
更にもう一体。
もう一体。
湖の岸に立つ僕の前の柱は13体になった。
高圧的で無機質な幻影の柱は半分透明に透けていて、そのどれもが微弱な電磁波を放ち、僕の脳に直接映像と音声を送り込んで来る。
僕が意識してそれにシンクロすれば、音と画像は鮮明になる。老人達の息遣いも、モノリスを通り越して姿かたちを視ることも出来る。
だがシンクロなんかしなくても、仕組まれたこの体は彼らの送り込む波動を拾い傍受してしまう。
それはそれこそA.T.フィールドで遮断でもしない限り消える事のない僕を繋ぐ鎖。
どこにいても無駄。
彼らの声は僕が地球上のどこに逃げようと追い掛けて来るだろう。
僕が生きている限りはずっと。

「……わかった。次からはそうするよ」
『いや、もう良い。監視の役目は終わりだ』

……?

『後は大人しくしていろ。後にこちらから連絡する』

……!

『タブリス』

『次の連絡が最後だ』


――――――――………

戻ったネルフの自室はうんざりする程乱れていた。
ひびの入った壁、コンクリートの粉、石膏ボードの破片。僕は邪魔なペットボトルの空容器を蹴飛ばして部屋に入り、そのままベッドに横になった。
布団の埃が舞い上がる。天井の亀裂が眼に入る。
のどが乾いていたが、水を飲む気にもなれなかった。
うんざりだ。何もかも。

“あの日” から数日。
僕はネルフの訓練に出ていない。学校はとうに行ってない。
サードチルドレンの監視なんかとっくにしていない事は、老人達も薄々気付いているだろう。

『次の連絡が最後だ』

「……」

左手を宙に上げた。
寝転んだまま手の甲を見上げると、爪のない中指が眼に入る。
包帯なんかあの日のうちに外した。
指の先端には赤黒い血液が固まり乾いている。
再生仕掛かっては剥がれ落ちる出来損ないの爪。どうせ剥がれるくらいなら、いっそ最初から生えて来なきゃいいのに。

「クク……」

じくじくと痛む中指の内に、僕とは違うもう一つの生き物を感じる。それは指の先から肘の付け根までを皮膚の内側で動きまわり、剥がれた爪の跡から隙を突いて外に出ようと僕の様子を伺っている。
実際、何度か外に出て来た。
壁や天井に張り出して、コンクリートの内壁に亀裂を入れた。
目指しているのは、地下だ。

……ねぇ、アルミサエル。

再生されたアダムの肉体は、シンジ君の父親が持ってるんじゃなかったっけ?前に老人達が言ってたよね。
ならドグマに眠るのは?
アダムは2体あるのか?
僕が還るアダムはどっちだ?

「どうやら違うみたいだね」

ドグマにいるのは僕らが目指すアダムじゃないかも知れない。しかしそれでも目的地には違いないだろう。老人達がそうしろと言う以上、僕の行くべき場所はやはりそこだ。
そこに行けば僕の運命は終わる。
全てが一度無に還る。
再生するのは……ヒトか。

「残念だったねアルミサエル。僕らはアダムに還れないみたいだよ。折角僕に張り付いていたのに誤算だったね。僕も残念だよ。君を連れて行ってやるつもりだった」

地下に眠るのがアダムでなければ、老人の目的はサードインパクトだろう。
老人の望みが完全な人の創造なら、接触して消えるのは僕らの方だ。
別にいいけど。僕はそれでも。でも。

「それじゃあ君は嫌だよね」

本体もなく、欠片だけで僕に居座ろうとするアルミサエル。もはや君は使徒とも言えない。アダムを夢見るだけの、只の体組織だ。
君が運んで来た面倒臭い感情は、僕の内側にドロドロとこびり付いて剥がれない。
最初は面白いと思ったんだ。
ドキドキするのも、胸が締め付けられるのも。
でも今は。

「僕がアダムに還れない以上、君が僕に張り付いてる意味もないよね。正直僕ももううんざりだ。こんなワケのわからない気分に振り回されて自分を見失うなんて。元はと言えば全部他人の感情なのに」

これはファーストの感情なのだと、彼もそう言っていた。

「他人のくだらない感情でなんで僕がイライラしなきゃなんないのさ。それもこれも君のせいだ。だから消えてもらうよアルミサエル。君だってその方が良いだろう?僕といる必要なんて、君にはもうないはずだから」

ねぇ、アルミサエル。君が消えたら少しは楽になるのかな。
面白いのも、ふわふわするのも、息苦しいのも、全部。

「いらないよね。もう」


ばいばい、アルミサエル。
せめて僕よりはアダムに近いであろうあの場所へ。



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