恋の単位と死にかけ天使

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「君がいないと死んじゃう」
「君の為なら死ねる」
「君が好き」
「死ぬほどすき」

恋と死とは隣り合わせだ。だって人はすぐに恋で死にたがる。
恋は病と言うくらいだから、きっとこの場合の死は病死だろう。そう言えば恋は動悸もすれば発熱もする。冷静な思考力も失わせるし、正に『病』と言って正解かもしれない。最初に病と言った人は中々鋭いセンスの持ち主だ。

しかし実際のところ、恋をしたぐらいで人は死なない。
「君がいないと死ぬ」と言っても本当に死んでしまうわけではないし、「君の為なら死ねる」と言っても相手の為に死ななきゃなんないようなシチュエーションなんて滅多にない。ましてや「死ぬほど好き」だなんて、それこそただの比喩だ。
好きになったぐらいで死ぬのなら人類は今頃とっくに絶滅している。
人は恋なんかじゃ自動的に死なない。恋をきっかけに死が訪れるとしても、最終的に何かの外的要因が働かない限りは。
しかしそれならどうして人は恋と死とを結び付けたがるのだろう。
人はあまりにも恋と死を近くに置きたがる。これらを題材にした創作物がどれだけ多くあることか。ドラマや映画などでは最早当然。死ぬと言った方も言われた方も、実に満足そうにしているではないか。

で、僕が思うに。

この場合の「死ぬ」は、きっと恋の単位なのだ。それも最上級の。

【ちょっと好き】
【まあまあ好き】
【とても好き】
【死ぬほど好き】

こんな感じで恋の大きさを表しているに違いない。
何せ「死」という表現を使うくらいだ。命を失うぐらい大事(おおごと)ならば最上級で間違いないだろう。だってその先はないのだから。

一番好き。本当に好き。もの凄く好き。

そんな意味を込めた「死ぬほど好き」
最上級をうたうのだから、そこまで言っておけば多少差っ引いても恋は伝わる。
だから人は死ぬほど好くんだ。誰かに最上級を伝える為に。

そんなわけで僕も当然恋を伝える。

「シンジ君好き」
「君が好き」
「死ぬほど、」

すき。

僕のうたう最上級を、シンジ君は耳を赤くしてはぐらかして、そして時々笑いながらこう答える。

「男は男を好きになんないよ」

だけどそれは彼の照れ隠しで、本当はもうほんのちょっと彼が僕を好きになっているのを知っている。
何故わかるのかって?そんなの勘ってやつさ。それと時々彼が僕に言うこのセリフ。

「……でもまあ、君のこと嫌いじゃないよ。多分ね」

こんな曖昧な言葉で僕は天にも昇れる。
おかしいな。恋の言葉は「死ぬほど」が最上級じゃなかったのか。
だけど確かなことは、彼のこの曖昧な言葉が僕にとっては最上級だと言うこと。
「多分」とか「嫌いじゃない」とか、全然全く死にそうになくても彼の言葉は最上級だ。

「シンジ君好きだよ」
「はいはい」
「死ぬほど好き」
「嘘つけ」

いやいやまじで。

「はいはい。僕もちょっとは君が好きだよ。渚くん」

!!??

……今日は最後にN2爆雷キタヨコレ。
たまに本気で死ぬんじゃないかと思うので、案外恋で死ぬのもただの比喩ではないのかもと思う時も、ある。



END.

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