チェリーキッス

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“さくらんぼの茎を舌で結べる人はキスが上手い”

面白そうな情報を聞いたのでやってみた。
案外簡単に出来た。
ふぅん、成る程。どうやら僕はキスが上手いらしい。

* * * *

「ぶっ」
「失礼だな」

吹き出された理由に検討が付いたので先に苦情を言っておいた。
小綺麗なカフェの日当たりの良い窓際の席。四人掛けのテーブルに向き合って座る赤色の髪の少女は、生クリームの付いた口元を紙ナプキンで拭うと、これまた生クリームの付いたスプーンを僕の鼻先に向けて、いかにも胡散臭いと言った顔をした。

「あんたがぁ!?勘弁してよね!」

狭い店内に甲高い声が響き渡る。

「あんたのキスが上手いなんて冗談じゃないわ。あんたのキスが上手いなら世の中の男は皆キス名人よ。笑っちゃうわよ」

食べ掛けのストロベリーパフェを前に、セカンドは実際に笑った。
「ふふん」と鼻を鳴らして僕に向けていたスプーンをガラスの器に戻し、中のフルーツやら生クリームやらをぐりぐり豪快に掻き回している。さっきまで綺麗に盛り付けられていた器の中は、白い生クリームとバニラアイスでドロドロだ。

「何でそう思うのさ。茎を結べたのは事実だ」
「いつ試したのよ、そんなこと」
「昨日。チェリーは缶詰だったけど」

生でも缶詰でもさくらんぼはさくらんぼだろ。つい昨日の事実まで否定されるのは面白くなくて、僕は強く主張する。しかし主張しながらも頭の端では、生クリームに埋もれて崩れかかっている苺の行く末を心配していた。 『ストロベリーパフェ』の核たる存在の苺が、スプーンで突き回され今や形状崩壊の危機だ。

「あんたも暇ね」
「悪かったね。でも事実だよ」
「そんな事実あんたには当て嵌まらないわよ」
「なんでさ?」
「だってあんた、使徒じゃない」

セカンドは生クリームの海の中からキウイフルーツの切れ端をすくい上げて口に入れた。

「使徒のくせにキスなんて生意気よ。しかも上手いだなんて図々しい。あんたにキスなんて100年早いわよ」

……成る程。つまり彼女は使徒がキスすること自体気に入らないわけか。
まあ、人と使徒との確執を考えればそれもわからなくはない。ついこないだまで敵同士だった関係だ。だからと言って「100年早い」は心外なんだけど。

「悪いけど僕の体の構造の90パーセント以上は人と同じだよ。姿かたちも人と同じだし。基本的に人と同じことは大体出来るんだ。キスだってするさ」
「あんた、キスが上手いの意味、わかってるの?」

スプーンに乗せた生クリームをちまちまと舐めながら、セカンドは訝しげな顔をする。何だか色々と失礼な奴だな。僕だって “その意味” ぐらい理解してるさ。

「わかってるよ」
「うーわやらしい。チカンは知らなかったくせにそういうことは知ってるんだ」
「色々と学習したのさ」
「ふーん。じゃあわかって言ってんのね」
「そう言ってるだろ」
「そう、ならやってみせてよ」

――へ?

「やってみせて」

そう言って彼女は、ガラスの器の中からクリームやバニラアイスにまみれた丸い物体を掬い出すと、スプーンに乗せて僕の前に差し出した。

「ほらこれ。結べるんでしょ?結んでみせてよ」

意地が悪そうににやりと笑う。長いスプーンの上の丸い物体からは、ひょこんと短めの枝らしきものが飛び出している。
いや、枝と言うより茎か。
どうやらこれは、さくらんぼのようだ。

「このチェリーを傷つけずに茎を結べたら、あんたの言うこと認めてやっても良いわよ」
「実がついたままで?」
「そーよ。 “キスが上手” なあんたなら楽勝でしょ?」

挑発的に聞こえる物言いは彼女の十八番だが、今回は本当に挑発らしい。

「ふん……」

彼女の意図がわかって、僕は少し考えた。
実が付いたままの茎を結ぶのは、茎だけ結ぶよりも難しいかも知れない。しかしここで引けば更に「100年どころか1000年早い!」ぐらいのことは言われるだろう。それは癪だな。
ヒト形シトの威信にかけても、シトだってヒト並にキスぐらい出来ることを証明しなきゃ……って、あれ?何か論点がずれている気もするが、まぁ良いか。

「わかったよ。乗った」
「ふっふーん。本体に歯形が付いたり潰れたりしたらアウトだからね」
「了解。でもその代わりちゃんと結べたら君の苺を一つ貰うよ。潰れる前に食べてやんなきゃストロベリーパフェも気の毒だ」
「しょーがないわね。いいわよ、はい」

にやにや笑ってスプーンを差し出されたので、僕はテーブルに上半身を乗り出して口を開けた。その口の中に向かいの席からスプーンが差し込まれる。
舌の先にとろりと広がる生クリームの味。ぱくんと口を閉じてさくらんぼを受け取った。
僕は目玉を上に向けたり下に向けたりしながら、甘い物体と格闘した。
周りに付いていた生クリームは、何度か舌を動かしてるうちに溶けてのどの奥に流れ込んだ。
さくらんぼは缶詰。柔らかくて丸い。舌の上で転がる度に、ころころ甘い。
時々セカンドが僕の顔を見て笑っている声が聞こえる。 真剣な使徒の顔を笑うとは、重ね重ねの上全く以て失礼なやつだ。なんてね。あは。

「ん!!」
「え、何?」
「んぱ。ふぁい、出来たよ」
「嘘!」

見事に茎の結ばったさくらんぼを人差し指と中指で摘んで取り出した。短めの茎は中央でくるりと一回転、円を描いている。
セカンドの目の前に差し出して「どう?」と言ってやると、彼女は元々大きな眼を更に大きくしてその完成品をまじまじと眺めた。

「うっそ!インチキ!」
「インチキじゃないよ。見てただろ?」

ふふんどうだい。笑われた甲斐があった。可愛いピンクのさくらんぼには噛み跡一つ付いてない。我ながら、上出来。

「論より証拠さ」
「むぅうー絶対インチキよ」

ぷぅと頬を膨らませて、セカンドは面白くなさそうな顔をする。目の前で見たのに納得してないのかな。

「……さてはセカンド、苺が惜しくなったね」
「そんなんじゃないわよ。あーもー、なんで私でも出来ないことを使徒のあんたが出来んのよ。ムカつくっ!」

なんだ、自分も過去に試してみたのか。それで出来なかったとなれば面白くないのも無理はない。

「それって八つ当りじゃないの?」
「うっさいわね!」

文句を言いつつも苺を一つスプーンに乗せて差し出してくれた。何だかんだで戦利品はくれるところが勝負事にはうるさい彼女らしい。

「一個しかあげないわよ」
「わかってるさ。いただきます」

首を伸ばしてスプーンに食い付いた。生クリームと一緒に口に入って来たのは、今度はさくらんぼじゃなくて苺。ちょっと酸っぱい。でもクリーミー。

「んまい」
「でしょ?苺はクリームと一緒に食べるのが美味しいんだから」

それであんなに掻き混ぜてたのか。

「ねぇ、やっぱりもう一個頂戴」
「やーよ、私のがなくなるじゃない」
「んじゃアイスだけ」
「やーよ」
「んじゃ、生クリーム」
「もーしつこいわね!わかったわよ、はい」

セカンドはスプーンに半分程生クリームを掬ってまた僕の方に差し出してくれた。この店の生クリームはあまりしつこくなくて美味しい。僕もたのめば良かったかな。
指に摘んだままだったさくらんぼを実だけちぎって口にぽいっと放り込んで、また口を開けた。

「ほらカヲル、あーん」
「あーん」
「あ~ん!」
「あ~~ん!」
「ああ~~ん!」
「あああ~~~ん!」

「……何やってるんだよ、君たち」

生クリームが口に入ると同時に、誰かに頭を叩かれた。スプーンを啣えたまま声の方を見上げると、そこには呆れ顔をしたシンジ君が立っていた。

「あ、シンジ君!」
「シンジ君!じゃないよ。人前で何恥ずかしいことしてるんだよ、君たち」

シンジ君は僕を叩いた右手を下ろすと、いかにもやれやれといった顔をした。確かに周りの客の何人かがこちらを見て笑っている。

「セカンドに生クリームをもらってたんだよ」
「あら私は知らないわよ?この使徒が勝手に人のパフェ食べたんだから」
「!??」

見るとセカンドはいつの間にかスプーンから手を離して椅子にもたれ、クックとのどを鳴らして笑っていた。どうやら彼女は最初からシンジ君の存在に気付いていたらしい。
……思わずさくらんぼの種を飲み込んだ。

「さっきから窓の外から見てたけど、二人共全々僕に気付く気配がないし、あんまり恥ずかしいことやってるから止めに来たんだよ。何?渚、僕との待ち合わせは店の外でじゃなかったっけ?」

僕はセカンドに一度横目で抗議してから(べ!と舌を出されてしまった)、待ち合わせに早く着き過ぎて店内で涼んでいたこと、たまたま通りかかったセカンドにパフェを奢って付き合ってもらっていたことを説明した。だって30分も早く着いてしまってヒマだったんだ。

「カヲルがどーしてもって言うから、苺パフェで付き合ってたのよ」
「まぁそういうわけ」
「ふうん、なのに渚はそのパフェを取り上げて食べちゃったわけだ?」
「えー!?」
「あはは、冗談だよ」

シンジ君は笑って僕の横の椅子に腰を下ろした。そして僕のお冷やを勝手にゴクゴク飲んでいる。

「折角だから、渚も何かたのんで待ってれば良かったのに」
「ちょっとシンジー!カヲルはねー、あんたとご飯食べる予定があるから自分は何もたのまないとか言うのよ!?男のくせに気持ち悪いったら。気を付けなさいよねあんた」
「……セカンド、君ねぇ」

一応は奢ってもらってるのに非道い言い様だな。そう思ったけどシンジ君が笑ってたから言わなかった。
まあ良いか。苺とさくらんぼは美味しかったし。

その後、僕とシンジ君はそのカフェで簡単な昼食を取り(僕はロコモコ、シンジ君はピザを食べた)、店を出たところでセカンドと別れた。そして今日の待ち合わせのメインイベントである映画館のある複合商業施設へと向かった。
『ターミネーターvsスパイダーマン』を観るのだ。



「なんだ、そんなことで言い争ってたのか」

映画館でポップコーンの順番待ちをしていると、話題は先程のカフェでの話になった。

「だってセカンドがキスは100年早いとか言うからさ」
「僕は君たちが怒ったり拗ねたりしながらイチャイチャあ~んなんてしてるもんだから、てっきり痴話喧嘩でもしてるのかと思ったよ」
「チワ喧嘩って何?」
「ふふ。知らなくていいよ」
「??」

カウンターでお金を払ってポップコーンを受け取り、館内に向かう。最後列を選んで横に並んで椅子に座って、それぞれポップコーンのスタンバイをする。前評判は上々の『ターミネーターvsスパイダーマン』も公開4週目ともなると人気もまばら。
音響が大きくなる前に聞いてみた。

「ねぇ、シンジ君はどう思ってんのさ?僕のキス」

少しは上手いとか思ってる?

「……何言ってるんだよ。恥ずかしいやつ」

耳元に口を当てて小声で訊ねると、シンジ君は上目使いでちょっとだけ睨んで、まだ予告も始まってないスクリーンに眼を向けた。

「キスに上手いとか下手とかないだろ」
「でもテレビで言ってたよ」
「まぁそのさくらんぼの話はよく聞くけど」
「だろ?だからシンジ君はどう思ってんのかなって」
「僕の感想でいいの?」
「うん」

君の感想が良い。

「……教えてやらない」
「ええー!なんでさ!」
「うるさいよ、映画館では騒がない。ほら始まるよ」

上手い具合にかわされたところで映画が始まった。大スクリーン一杯に広がる大迫力のSFアクション。前評判通り、中々面白い。
ポップコーンと共に堪能し、エンドロールが流れたところで隣のシンジ君にキスをした。

「遅いよ。しないのかと思った」

小さな声で囁かれて、熱くなった頬を彼の頬に押し当てて、深く繋がる。
少ししょっぱいポップコーン味のキス。だけど甘い、甘い甘い甘いキス。

「ねぇ、僕のキスはどうなの?」
「何?まだ言ってるの?」
「教えてよ」
「……知らないよ。僕は君のキスしか知らないんだから比べようがないよ」
「そうなの?」
「そうだよ。君は違うの?」

あれ。そう言えば僕も、君のキスしか知らないな。

「ふふ、そんなに知りたきゃもう一度さくらんぼにでも聞きなよ」

シンジ君はそう言うと、僕の下唇に噛み付いて、さくらんぼみたいな唇で続きをねだった。
ふぅん、成る程。

どうやら評価は悪くないようだ。



END.

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