ボクシング2・腕立て伏せ

…1/1

「ATフィールドを拳で砕くっ!!」
「……」
「ねえ聞いてる?」

シンジは丸めた雑誌でカヲルの頭をポカンと叩いた。

「あてっ」
「今無視しただろ。わざと」

ベッドの上で俯せになって雑誌を読んでいたカヲルは、大げさに頭を押さえて起き上がった。

「痛いよー何の話?」

わざとらしく擦りながらシンジを見る。

「痛くないだろ。筋肉の話!」

そう言うとシンジは、Τシャツの袖を肩までめくり腕を曲げて力瘤を作った。

「どう?」
「どうって言われても…」

まだ体を鍛えるとかって言ってんの?カヲルはそう言いながら眉毛をハの字に腕を見る。

「どうどう?」
「……?」
「どうよ?」
「……あ」
「ほりゃ!」

ほら!と言おうとして思い切り噛んだシンジは、それでもニヒヒと笑いながら嬉しそうに腕をコキコキさせた。

「どうだー!」
「うわ!」

カヲルはその手を掴んで更にコキコキさせる。

「本当についてる!筋肉!」

確かに、見ると細い腕の肘の内側から肩にかけてうっすらと盛り上がり、ちょこんと小さな膨らみとなっていた。

「わ、ちゃんと堅い!」

ちゃんと堅かった。
カヲルは目を大きくしてその腕の膨らみを見つめ、思わずスリスリと撫で回した。
シンジは嬉しそうに歯を見せた。

「これって例の?腕立て伏せの効果?」
「腕立てと牛乳。腹筋も少しね」
「へぇーやるね!」
「渚がいかにも無理って顔するからさ。僕にだって意地ってものがあるんだよね」

そう言うとシンジは腕を背中に回してマッスルポーズをキメた。さすがにこれはサマになっていない。
カヲルはその様子を顎を触りながらしげしげと眺めていたが、そのうち何か思い付いたようにぽん!と手を打ち立ち上がった。

「よし!わかった!」

ガバリと仁王立ちになりシンジを見下ろす。

「ごめん、正直まともに取り合ってなかった僕が悪かったよ。だからお詫びに君の特訓に付き合ったげる」
「特訓?」
「そう、特訓」

「ATフィールドを拳で砕く!んだろ?」

カヲルはにやりと笑った。


――――――――………

「……で、これなの?」

目の前で展開される透明な壁の存在感に、シンジは呆れて絶句していた。
物質の侵入を許さない絶対不可侵の透明な壁。その存在は通常目には映らないが、これだけ近づくと髪も皮膚も震える程の威圧感だ。

「A.T.フィールド……」
「どう?砕いてみたいんだろ?」

口をあんぐりと開けるシンジの前で、フィールドを展開した当の本人使徒カヲルは悠々と腕を組んで笑っていた。

「そんじゃどうぞ」

砕いてくれたまえ、などと言っている。
シンジは眉間に手を当てて「君ねぇ……」と溜め息をついた。

「これってもしかして、触った途端死んじゃうってヤツじゃないの?」

いきなり屋上に連れて来られたと思ったら、使徒パワー全開にも程がある。

「あれ?怖じ気付いた?」
「そういう問題じゃないだろっ!命に関わるよ!」

シンジはフィールド越しに拳を振り上げた。しかし壁の向こうのカヲルは上機嫌で、

「試しに叩いてみなよ」

と楽しそうだ。
くそう!悔しい!楽しそうなのが余計悔しい!そんなに言うなら……とシンジは恐る恐るフィールドに手を伸ばしてみた。

「……いきなり腕が吹っ飛ぶ……とかないよな……」
「はやくー!」
「~~~わかったよ!えいっ!」

意を決してグーで小突いた。
バリン!!

「わっ!!」

電気混じりの空気に腕を放り投げられたような気がした。
シンジの腕はバリンと跳ね返り、その反動で体が外側へとねじ曲がった。咄嗟に小突いた腕を押さえ固まる。
エヴァで触るのとは全然違う、不安になる位の絶対感。指も手首もじんじんと痺れていた。

「あははーそんなんじゃ砕けないよ!もっと思い切りやんなきゃ!」
「こんなの砕けるかよ!」
「出来るって君なら!折角筋肉ついたんだろ!さー早くー!」

早くおいでよー!とふざけるカヲル。目が口が楽しそうだ。
シンジはだんだん腹が立ってきた。

あーそうかよそうかよ!君はそうやってからかうんだな。僕をからかうのが面白いんだな。せっかく鍛えた成果が出始めたってのに、その気を削いで笑うんだな。
そんなに言うならやってやる!気合でその壁を砕いてやる!後で泣いても知らないからな!
行け!シンジ!!もう腕でも何でも折れちまえーー!!

本気で頭にきたシンジは半ばヤケクソ気分でA.T.フィールドに突っ込んだ。

「うぉりゃあーー!!」

途端、ぶあん!と大気が揺らいだ。

前のめりに踏み出すシンジの前方から、重く濃厚な空気の波が押し寄せて、シンジを包み圧迫して後頭部へと流れた。
それはまるで大きな水球の中を通過しているかの様な圧力。しかし決して苦しくはなく。
熱くもなく。冷たくもなく。
ただ温く。
ただ押し寄せ。
手も足も、頭も体も全て、前方より押し寄せる透明な圧迫感に包まれて後方へ。
意識すら抱くように、それはシンジの全身を隙間なく包み込み、服の上からも密に感じられるほど細部までをなぞり。
押し寄せては包み。包んではなぞり。
ただ温く、しかし深く。幾重にも繰り返す温い愛撫のように。
通過する圧迫感。軽い目眩。
前方より後方へ。
包み。なぞり。
後方へ。
そしてそれは、最後に一際強くシンジの振り上げた腕を包み込み、幾千もの指の動きでなぞりながら後方へと消えた。

「……!!」

がくん!と足が折れ、はっと気が付いた時、浮遊していたシンジの意識と肉体はすっぽりとカヲルの腕の中に納まっていた。

「あは!シンジ君おかえりー!」

シンジはカヲルに抱きかかえられ、二人一緒に膝を折って座っていた。そしてそのままぎゅっと抱き締められた。

「え?あれ?」
「あは。どうだった?僕のA.T.フィールドを砕いた感想は?」
「あれ???」

今イチ状況把握の出来ていないシンジは、カヲルの腕の中で目を何度もしばたいて、あれ?あれ?と繰り返している。

「おーいシンジ君」
「え?」
「戻って来た?」

両手で両頬を挟まれて、ぐっと顔を寄せられる。笑う赤い目を至近距離で確認して、シンジの頭は漸く着地した。

「え、な、何今の!」

興奮気味に大声で聞いた。

「渚、なんかしたよね!」
「アレがA.T.フィールド」

赤い目が緩む。

「君が砕いたんだよ」

最弱の、一番弱いA.T.フィールドだけど。確かに君が砕いたんだよ。僕の心の壁の一番弱い部分を君は砕いて入ってきたんだ。
侵入する時何か見えた?何かが君を拒絶した?
してたらまだ大丈夫。
してなかったら僕はダメ。
使徒としてもうダメ。

「君にもうダメ」

ぽかんと惚けるシンジはカヲルの笑顔を見て固まり、それから、

「……ていうか、何で君に抱かれてるんだ!?」

と我に返って赤くなった。

「えー君の方から飛び込んで来たんだろ。僕の胸に。僕の胸にっ!」
「なっ!」

ゴチン!とゲンコツ。

「あだっ!ひどいー!!」

これはちょっと照れ隠し。
シンジはうん、と立ち上がると、右手を曲げてコキコキしてみた。

砕いた、と言うよりは通過した、って感じだな。
拒絶は……されてないだろ、あれは多分。包んでじゃれついて離れて行ったって、そんな感じ。大きなネコの肉球にぎゅった挟まれてくすぐられたみたい。
……ちょっとエッチなとこ触られた気がした。

「心配しなくてもちゃんと君の力だよ。付いたじゃないか筋力」

座ったままのカヲルが見上げて言う。

「本当かなぁ」
「ちょっとだけど」

ていっ!とチョップ。

「……シンジ君は暴力的だよ」
「まぁ、見てな」

シンジは構えをとってカヲルを見た。
笑ってる。笑ってるな。まあいいさ、いつかこいつの……

「A.T.フィールドを蹴り砕くっ!!」
「うわー…」


屋上からの戻り道で、シンジはカヲルに聞いてみた。

「最弱じゃなくて最強で展開してたらどうなってたんだよ?A.T.フィールド」
「君のススも残ってないよ」


とりあえず一発イレておいた。



END.

目次に戻る
top| はじめに| 短編| 長編|
メール| index