少年過呼吸症候群

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息苦しさに落ち着かない。
深呼吸をした。
のどに手を当ててみた。
それでも呼吸は楽にはならず……気が付くと彼を呼び出していた。

「話があんだけど」
「なんだよ」

あからさまに不機嫌な顔をして、彼、碇シンジは現われた。白いシャツの制服姿。外の陽気で額に汗が滲んでいる。
セカンドインパクト以降の日本列島には四季がない。万年真夏。今日も外は暑い。

「まぁ入んなよ」

暑いだろ、と、僕は自分の冷房で冷えた部屋を親指で指した。

「ここでいいよ」
「僕が暑いんだって」

ドアを開けると部屋の冷気が外に漏れた。ひんやりとして心地良い。
少し躊躇して、それから漸くシンジ君は玄関に足を入れた。

「中までどーぞ」

入り口で立ち止まる彼を部屋に急かすと、ちら、と横目でドアを確認された。
警戒しているのか。そう思いながら喉元を押さえる。
暑い外気を吸ったせいか、のどの奥が少し熱い。

「……悪いけど」

部屋に入るなり彼は言った。

「話なら手短に済ませてくれないか。僕は少し一人になりたいんだ」
「……あのねぇ、君」

来て早々にそれ?僕まだ何も話してないんだけど。そう思いながらベッドに腰掛ける。

「まぁ座んなよ。勝手知ったる僕の家、だろ?」

皮肉混じりに言ってみる。
ついこの前まではこの部屋も、このベッドも君が半分占領してたもんな。気が済んだ途端に帰ったけど。
そう言うとシンジ君は少しだけ眉を寄せて、

「……あの時は悪かったよ」

よく言うよ。悪かったなんて全然思ってないくせに。
どうせ君が考えてるのはパイロットの事。意識の戻らないセカンドや、全てをリセットしたファーストの事。
きっと今もそうなんだろう。そう思いながらクーラーのリモコンをいじる。
少し暑いな。温度が上がったのか。
さっきよりずっと息苦しい。

「まぁ、いいけどさ別に」
「……」
「……」
「……それで」
「……?」
「……本題は?」

ハァ。愛想なく言われ、僕は溜め息をついた。
あぁそう、悪かったね。君はそんなに帰りたいんだね。さっさと要件を言って終わらせろって?そんなに僕といるのが嫌なのか?僕が何をしたんだよ。
少しイラついて設定温度を一度下げた。
じゃあ言うけど。

「君の過呼吸がうつった」
「……は?」

単刀直入に切り出した。彼はぽかんとしている。

「え?何?」
「君の過呼吸。うつったんだけど」
「は?」
「は?じゃなくて。困ってんだけど。どうすればいい?」
「え?」
「息苦しいんだけど」
「?」
「袋使っても効果ないし」
「??」
「今も苦しいんだけど」
「???」
「あのさ、君ちゃんと聞いてる?」

……話にならない。君が早くしろって言ったのに。「意味がわからない」とか言っている。
そうなのだ。僕は君の過呼吸がうつったんだ。おかげで息苦しくてかなわない。
今日も君を葛城三佐伝てに呼び出して、君が来るってんで部屋片付けて、一応飲み物買って準備して。 ”待って” いたんだ。
……なのに君はその態度。なんか、腹立つ。

「まあとにかくそういうわけだから。何か飲む?」
「……なんで?」
「なにが?」
「過呼吸、なんでうつったって思ったんだよ」

ああ、それね。
僕はシンジ君のオーダーを待たずに冷蔵庫を開けた。グラスを二つ用意する。

「前に君がここに泊まり込んでた時、僕が一回止めてやっただろ?君の過呼吸。それでうつった。それしかないもの。うん」

氷をカラカラ。このくらいかな?

「え…え!?」
「たぶんあの時、唾液とか入ったんだ。それから感染した。人が親切にしてやったのに結果こっちにうつされてさ、頭にくるよね全く。君に悪気はなかったとしてもさ」

「さ」の部分に嫌味を込めて。飲み物はコーラ。これでいいや。

「ま、とにかく治す方法知ってんなら教えてよ。君治ったんだろ?」
「え、ちょっと」
「それともケチって教えくんないわけ?まさか僕が嫌いだからって、」
「ちょっと待ってよ渚くん!」

グラスを手に持ったまま僕は止まった。シンジ君はさぁ、と青ざめた。

「唾液が入ったって……それってもしかしてアレ?あ、あの時の事?」
「うん」
「嘘だろ?」
「嘘じゃないよ。だって今も」

僕はグラスを冷蔵庫の頭に置いて、左手で喉元を押さえてみせた。彼の不審気な顔を見て更に苦しくなる。
とんとん、と首をたたいてみせる。

「もう死にそう」
「……からかってるのか?」
「からかってないよ」
「からかってるだろ」
「信じないの?」
「……」
「ふざけんな」

急に怒りが込み上げてきて冷蔵庫の扉をバンと叩いた。すると彼はキッと睨んで

「君こそふざけるな!」

僕に怒鳴った。

「あれは渚くんが、君が勝手にした事じゃないか!僕は頼んでない!第一過呼吸は感染なんかしないだろ!」
「え!?」

なんて言った?今なんて言った?うつらないって?過呼吸が?
僕は俄かに驚いた。「そんなはずない」と主張した。
だって僕は。現に僕は。

「息苦しい」
「……過呼吸じゃないよ」
「でも苦しい」
「病院行けよ」
「うつったんだ」
「違うって!」
「違わないって!!」
「渚く……」
「違わないってばっ!!」

ひゅう、と肺が収縮する。のどの奥がせり上がる。シンジ君は驚いた目で僕を見ている。
だって僕は苦しいんだ。あの時から苦しいんだ。
”ファーストが生きてる” とわかったあの日、君はここから出て行った。

「あれからずっと苦しいんだ」

君がいなくなって広くなった部屋。

「息がうまく出来なくて」

君の事ばかり考えて

「君の事ばかり思い出す」

何だろう?何故だろう?何でこんなに苦しいんだろう?
君を泊めて口付けて、嫌がられて出てかれて。それからこんなに苦しくなった。だから過呼吸だろうと考えた。

「息苦しいんだ。苦しいんだよ。君の事考えると苦しいんだ。君を思うと苦しいんだよ!嫌なのに、考えたくないのに思い出して、なのに君はそんな態度で!今日だってっ」

今日までずっと。

「ずっと君の事、待ってたのにっ!!」
「……!!」

……あれ?

……僕は何を言ってるんだろ?
僕はただ苦しくて。君なら何か知ってるかなって、そう思って……。

「あれ…?」

沈黙が続いた。シンジ君は固まっている。僕もどうしていいのかわからず立ったまま。視線を逸らしてのどを押さえて、彼のシャツのボタンばかり見ていた。
カララ、と冷蔵庫の上の忘れられたグラスの氷が鳴って、漸くシンジ君が口を開いた。

「ふくろ……」

え?

「試してみたんだよね?」
「あ、うん」

袋を口に当てて自分の二酸化炭素を吸う対処法。それで楽にはならなかった。

「でもあんまり効果なかったよ」
「そう……」

視線を彼に戻してみると、彼は下を向いて怒ったような困ったような顔をして考え込んでいた。顔は赤く、眉間にはシワが寄っている。

「シンジ君?」
「……こきゅう」
「え?」
「過呼吸だよ、やっぱりそれ」

急に素直に認めた。

「え?だって君、さっき違うって言ってなかった?」

拍子抜けして高い声が出た。

「言ってたよね?」

するとシンジ君は下を向いたまま「勘違い」と言った。

「勘違い、してたんだ。多分僕が知らないだけでそういう過呼吸?も、ある、と…思う……」

最後はゴニョゴニョ。勘違い?

「あれ?でも、あるかどうか君知らないんだろ?なのに勘違い?どっち?」
「あー、えーと……」

口籠もりながらシンジ君は下をむいたまま横を向いた。横顔がやっぱり赤い。

「いや、あの、その」
「何なの?」
「ぁー、それって……」
「それって?」

それって何さ?
煮え切らない態度に痺れを切らした僕は、シンジ君の前まで詰め寄って下から顔を覗き込んだ。

「もう、何なのさ?」
「……っ!!」

とたんに弾かれるようにして彼は後ろに跳んだ。
真っ赤な顔。変な表情。涼しい部屋なのに汗までかいて。
僕は驚いた。

「どうしたのさ!?」

急にザワザワして、つい大きな声を出した。

「何か知ってるなら教えてよ!」

手を当てるとのどが熱い。僕も発汗する。なぜか鼓動が早くなる。

「ねぇ!」
「と、とにかくっ!!」

シンジ君がくるりと回った。

「ほっとけば直に治るよっ!」

言うなり彼は僕に背を向けて、どたどたと玄関へと向かった。

「え?ちょっとシンジ君!?」

スニーカーを引っ掛けて外に飛び出して行く。

「シンジ君!」

突然の事に驚いて僕は慌てて彼の手首を掴んだ。

「帰んの!?」

パン!とはねのけられた。今度は困ったような顔。

「袋っ、ちゃんと使いなよっ!それで治るからっ!」

振り返りざまにそう言うと、彼は立ち止まる事無く駆け出して行った。

「シンジくんっ!?」


取り残された僕は、あっけにとられて立ち尽くしていた。
叩かれた右手。まだ指の感触が残っている。
そっと左手で触れてみる。
痛みはない。痛くはない。
痛くはない、けど。
ただ苦しい。息が。
息が?
いや、違う……。

「胸、が?」

胸がくるしい。

「シンジ君……?」 

外気を吸って呼吸がまた荒くなった。
深呼吸をした。のどに手を当ててみた。それから……

それから僕は、胸を押さえた。



END.

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